毎日下痢!

毎日下痢したくねぇ〜

日記を書くことで人生を秩序だったものへと立て直す試み1

皆さん元気ですか?私はパソコンの検索履歴を「ADHD 検査 大人」「内定辞退 1月」「内定辞退 今から」で埋めています。助けてくれ。自分の人生の舵の切り方が完全に分からなくなって、今は下痢をしています。

なんでこんな本来なら大学生の無敵期間とも呼べるような時期に下痢をしているのかというと、働くのが恐ろしいというか、自分に働きの適性がないことを大学4年生の1月(卒論提出済み)とかいう土壇場の時期で悟ってしまった上に、なんとかして子供を永久脱毛させんとする母親に「そんなことで私に金使うならもう1年大学にいさせてよ〜笑」と冗談混じりに言ったら普通に承諾されてしまったことで完全に「留年して就職活動をやり直すこと」が視野に入ってきてしまってそれについての思案と不安で頭がもう爆発寸前だからである。今まで留年も浪人もダメって言ってなかったか!?!?急になんで!?!?

私は基本的に自分に甘々激甘人間ゆえ、労働者になるのを延期してもう1年学生のご身分でいられるという選択肢を出されると心の底からそれに飛びつきたくなってしまうのだが、冷静になって考えてみるとこの道の先には当たり前だけど内定辞退させてくださいと内定先に頭を下げる必要性留年させてくださいとゼミの担当教員に頭を下げる必要性と、これまた当たり前だが去年よりさらにハードルが上がった就職活動をもう一度やっていく必要性がそびえ立っている。決して楽な道というわけではないのだ。いやそう、本当にそうなんだけどめちゃくちゃ就職活動をやり直したいというか今の内定を取り消したい。

私が去年の5月半ばぐらいまで行っていた就職活動というのは自己分析もそこそこに(リクナビマイナビかなんかの診断でルールを重んじる「規範性」が10段階中の1だった。のでほぼ無視した)とりあえず内定が取れそうな業界のそこそこ規模がありそうな会社を雑に選び、一つ内定をもらった瞬間に即終わらせるという本当にカス極まりないものだった。しかしまあ就職活動なんてみんなこんなもんだろとタカをくくっていたら全くそんなことはなく、みんな案外じっくり時間をかけて選んでいたので仰天したものである。なんかOBOGその他卒業生も就活は早さじゃなくて自分に合う企業を見つけられるかどうかだから……的なことをたくさん言っていた気がするが、そんなこと言ったって就職活動に関わらず人からのアドバイスを簡単に聞いて取り入れられるようならとっくに人生の苦しみなんてほとんどが地上から消えてるんだよ。不安なものは不安だし知らん人間と会話して合否が決まる行いするのが苦痛で下痢をしまくる期間なんて一分一秒でも早く終わらせて固形の便がしたかったんだよ。助けてくれよ。

という感じで一刻も早く就職活動を終わらせることを目的に就業先を決めた結果、内定直後の人事との面談で「なんかこの業界に行きたいという理由が【弱い】んだよなぁ」(採ってからそれ言うか!?!?)と言われ、提出物の期限を破りまくって電話され、ゼミを言い訳に研修を休み、毎月やらなきゃいけない課題の進捗報告も完全に想像で書くみたいな、地獄のモンスター内定者が誕生してしまった。このまま正式に就職したところで何が起こるのかは目に見えている。これに関しては本当に内定先や人事の方は悪くない。むしろ気の毒すぎる。こんなウンコ人間が入社後内定先にもたらす災禍を考えると、ここで内定を取り消した方が結果として明らかにマシな気がするのだ。

しかしここで問題になってくるのが、もう1年使って就活をやり直したところで提出物を時期通りに出せないとか働くことへの忌避感が強すぎるなどといった私自身の持つ特性は全く変わらないのでは?ということである。これまでの20年以上に渡って仔細に観察した自分の傾向を踏まえれば、結局同じことを(親の金をさらに50万円以上食い尽くして)繰り返した挙句、来年のこの時期に同じ泣き言をスマートフォンに打ち込みながらまた下痢をするというような状況に陥る可能性はゼロどころかかなり高くなると言っていい。それはいくらなんでも流石に最悪すぎる。

しかし、たとえ同じことの繰り返しになったとしても流石に2年もやれば働くことへの拒否感を抑えて諦めもつけられるようになるもしれないし、この期間を自分がなんでずっとこんなんなのかを改めて知るために使うことができれば、今後が多少はマシになるかもしれないと思う自分も存在しており、今は感情がかなり「留年して就活もう一回コース」に傾いている。姉にも相談してしてみたら「どうせいずれ鬱病の無職になるなら鬱病の無職になるまでの期間は長い方がいいんじゃない?」と言っていた。そうか〜 まあ怠惰人間なのでここまで言っておいて大人しく4月に就職しているかもしれないのですが……

冒頭に書いた「ADHD 大人 検査」という検索履歴は一応改めて自分というものを知るための試みの第一歩のつもりではあるのだが、ADHDなわけがないんだよなこれが。注意欠陥の傾向はアリアリだけど多動の要素がほぼねぇんだもん。そもそも自分で見て生活に支障をきたすレベルじゃないことは分かるし。日に5回ぐらい眼鏡とスマホなくしてるけど。結局内定辞退と今後の最悪な人生のための免罪符が1つ増えればいいと思ってるだけじゃないか。最悪。クソ、カス!ここまでの文章がオタクみたいで回りくどくてキモい!一生下痢してろ!

 

というわけでなかなかメンタルがグラグラしてきていたところを、去年の卒論がやべぇ時期から心の支えとして読んでいる漫画『ダイの大冒険』の大好きなキャラクターの活躍を見ることでなんとかブチ上げようとしたら今度はそのキャラが死んでしまい(というか初出は90年代だから90年代にはとっくに死んでいたものを私が発見しただけ)、その事実がジワジワと自分の精神を削っていて本当に大変になってしまった。なんでフレイザードちゃん死んでるんだ?いや死んで当然の行いをしているキャラクターだし最後まで悪を貫いたわけだからダラダラ生き延びたらむしろ私の好きなフレイザードちゃん像からズレることになるわけだし私はけっこう自分の好きなキャラクターの死を面白がったり性的にまなざしたりするタイプのオタクなんだが、なんだか死をエンジョイするにはあまりにも事前の思い入れが強すぎたらしく(単行本でいうとだいたい1.5巻分にあたる量を私は2ヶ月ぐらいかけて読んでいた。フレイザードちゃんが描かれているコマは一つ一つが一枚絵としての美しさを保っており、その言動も含めてじっくりと時間をかけて味わい尽くす必要があったのだ)「死んで当然」という理性「死に際が醜くてかわい〜♡」という最悪オタク感情「嫌だ!!!!!!!!死ぬな!!!!!!!!!!!!私が悲しいから!!」という醜い執着の狭間でひたすら苦しむことしかできなくなった。とりあえずその日はフレイザードちゃんがいなくなってからの物語に時間を割くのがなんか腹立たしくなったため『ダイの大冒険』の残り文庫17巻分を一気読みしてぶっ倒れてそのまま朝を迎えたが、一晩寝かせた結果予想よりもけっこう悲惨だったフレイザードちゃんの死を改めて直視するのが恐ろしくて5巻以降を読み返せなくなり頭の中でフレイザードちゃんの死のイメージだけが無限に肥大化していっているというのが現在の状況である。なんか気丈なツイートをしてみたり待ち受けを一番アイラインが盛れてて最高な時のフレイザードちゃんにすることで元気を出そうとしたのだが、視界に留めるたびに「ああなんてかわいいんだ、でもこんなかわいいフレイザードちゃんは靴の裏で吸殻みたいに踏み潰されて死んだんだよな〜」とその死が想起され、フレイザードちゃんの死について考えるストレスを別の微弱なストレスを継続して与えることで相殺しようと下唇の皮膚をひたすら毟るという行動に出てしまってなんだか全然ダメそうだ。フレイザードちゃんの死についてはまた余裕があったら日記に起こしておきたいけど絶対無理だと思います(怠惰なので)。

 

というわけでメンタルとケツの穴と下唇が同時に終わりを迎えかけている上に進路上の選択を行う必要があって明日はキャリアセンターの面談を予約している(去年1回使ったっきりなので「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!?」って怒られそう)のでその前に最悪な自分の状況を文字に起こして整理しようとしたらかえってとっちらかってしまった。俺みたいになるな!フレイザードちゃんは死ぬな!