毎日下痢!

毎日下痢したくねぇ〜

日記:その㉚

ぽまいら〜〜〜〜〜〜〜‼️‼️‼️‼️「毎日下痢!」が今日で1周年って知ってた⁉️漏れは知りませんでした。

恐ろしいことに、あの混沌と不安に満ちたあのハチャメチャ人生相談ブログ開設からもう1年の時が経過しようとしているらしいよ。なんかあっという間だな…と言おうと思ったんだけど、実は最後の更新から就活が終わる(そこそこ悔いのない決断ができたと思う)・Twitter凍結&新垢作成・仮面ライダー龍騎と本当に色々なことがあったので言うほどあっという間じゃなかったな。ちゃんと一年が経過した実感がある。これは一応実のある…フィクションのキャラクターに対して興奮することを実と言っていいのかは知らんがまあそういう時間を過ごせたということで良しとしておこうかな。

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今日もこんなにかわいい関東拘置所(小さい仮面ライダー王蛇をしまうケース)を買ったし。

何はともあれ仮面ライダー龍騎である。というか仮面ライダー王蛇/浅倉威である。東映公式YouTubeで配信が始まったのを親が見たいと言うので一緒に追い始めたのが去年の9月の話なんだが、まさかこんなにハッキリと1人のキャラクターにしっかり執着が生まれるタイプのハマり方をするとは思わなかった。実は仮面ライダー電王に耽溺していた頃(ちょうどブログを多めに更新していた時期と重なる)に特撮関連のオタク語りを目にする機会が増えていたのでなんかそういう人殺しの暴れん坊ライダーがいるらしいという情報自体は握っていたのだ。しかし当時の私は

「うわ〜なんか好きそ〜!って感じだけど、こんなサンリオコラボした時の相手がクロミちゃんみたいなあざとさのあるキャラに完全どハマりすることはないでしょ」とタカをくくっていた。アホすぎ。お前は条件が一致すればある程度のあざとさを喜んで飲み込みながらオタクをやるタイプの人間だよ。

ところで仮面ライダー龍騎のサンリオコラボって秋山蓮がバッドばつ丸なのは完全に確定として、城戸真司くんは主人公だけどキティさんとかじゃなくてウサハナちゃんとかコロコロクリリンとか、適度に親しみが持てるキャラとコラボしてそうな味がしませんか?しませんか。というかこれは私が東條悟を受け止めきれる度量があるのはキティさんだけだと思ってるからなのかもしれねえな…いやでも…ポチャッコとかでもいいかな…この段落で私が言っていることが一切理解できない人は一刻も早く仮面ライダー龍騎を視聴し、私を殴りに来てください。私が仮面ライダー龍騎の「ない話」を言い続けるモンスターになる前に。(もうなってるよ)

でも、知る前と知った後ではある程度ものの見え方や人間というものの受け止め方が変わってくる作品というのは確かにあって、私の場合はそれがドラゴンボールだったりワンピだったりゴールデンカムイだったり、仮面ライダー龍騎だったりするのだ。仮面ライダー龍騎を、浅倉威を知ってから急に半分寝ながら聞いてたゼミのレクチャー(メジャーな哲学思想を引きながら欲望の話をしている)を真面目に聞くようになったもんな。人間を知れば浅倉威のことが分かるようになるし、その逆もまた然り、な気がする。

私が人外キャラが好きで人外無知シチュが更に好き、というのは私のTwitterアカウントをご覧の皆さんにはある程度分かっていただけることとは思うが、これは人間ではないキャラクターの視点を一旦経由することで、一体何が特定の行動や考え方(私の関心がそこにあるので、それはしばしば性愛や恋愛に関係したものになる)を「人間らしい」ものと「そうでない」ものに隔てるのか、そんでもってその「人間らしさ」とかいうものはいついかなる時も正しい絶対の規範なのかを検討し、「いや、正しくないね!」という結論に持っていきたい気持ちに起因する性癖である。あけすけな言い方をすれば人間以外を通じて人間を知った上での人間disがしたくてたまらないわけなのだが、私は浅倉威さんに今その「人間以外」の枠を背負っていただこうとしている。しかし浅倉威さんは人間である。

浅倉威は作中で何回も「あいつはモンスターだ」「お前は人間じゃないよ」等々言われるし、対浅倉コミュニケーション的にはそれが正解の対応ではある(浅倉は自分を人間扱いしようとした相手には心を開かない)けど、自分の中にある欠如を埋めるための欲望に従って行動することそれ自体が既にとてつもなく人間的と言えないことはない。これが腕が伸びるなり肌の色が彩色なり寿命がクソ長いなり羽が生えてるなり無機物なりしてくれれば軽率に人外判定が下せるが、浅倉威さんは1977年4月10日に神奈川県は三浦半島に、人間の腹から生を受けて産まれてきた存在で、少なくとも高校に途中まではギリギリ通う程度には人間社会で生きたという経歴がある。そこに最終回までの動向を含めて考えると、なんか…人間なんじゃないか…???という気持ちの方が強くなってきた。とにかく、浅倉威を人間と解釈するにせよ人間の形をとって人間の社会に生まれたことが間違いだった人間以外と解釈するにせよ、パッと生態を見た時点で「人間とは違う」判定を下せる人外キャラを使って人間disをやるより、もう少し繊細な手つきが必要になってくることは間違いない。だから私はかつてなく人間について真面目に知りたいと思っている。それにしても、disをやるためとはいえ人間を形作るものを辿ることをオタクルーティンにしている私ってもしかして…人間が好きなのか…???(遅くない?)

 

「毎日下痢!」は普段のツイートとは別に、なんか現実で起きた具体的な出来事に対する言及をすることによって、自分の朧気すぎる記憶力を補強し、人生を秩序だったものに組み立て直すことを目的に開設されたブログだった。それが今となっては、自分の頭の中にだけ存在するフィクションのキャラクターにまつわる話を延々繰り出すことしかできなくなっている!これでは小学校高学年~中学生の頃にしたためていた日記(本当にその日自分がどのフィクションのキャラにどういう欲望を抱いたか、という話しかしてなかった)とマジで変わらなくなってしまうので即刻やめたいのだが、それは裏を返せば中学生の頃に感じていたあの、現実で起こる出来事全ての記録を蔑ろにしてもいいから文字に起こしておきたいようなパッション(快楽物質の分泌)を今の自分がフィクションから感じているということになるわけで、成長した現在となっては次にいつそんな機会が訪れるか分からないから、今はただその興奮に身を任せておきたいと思ってしまう。

オタクをやる、自分で何かを成し遂げることのないままに他人の紡ぐ物語から快楽を得ることをライフワークにするということは、快楽を感じる手段としてコスパがいいぶん消耗も早い。おまけに一度その楽さを知ってしまうと何かしら創造的な趣味を得るなりスポーツに打ち込むなり、欲望の充足に時間がかかる(=努力を必要とする)行動へのハードルがムチャクチャ上がるのである。誰だって楽して快楽を得たいし、もうその楽に快楽を得る手段を知ってしまっているとなれば、何度でもフィクションの消費に戻るしかない。先述の通り、私は小学校高学年から既にこんな感じになっていたので、当然のことながらフィクションから強い快楽を得てサイコーになる感覚も、それが落ち着いていっては耽溺できる別の何かに飢える感覚もかなり繰り返しており、今はオタク的な絶頂にいながらにして既にこの先に待っている虚無のことを心配する段階にまで来ているのである。マジでなんらかの別の趣味を1つ作ってからオタクになればよかったと思う。木工とか…木工をやれば真人間になれる気がする…(木工への絶大な信頼)

でも実際、社会が終わってて人間も何考えてるか分かんなくて気持ち悪くて最悪だっていうのに、フィクションがもたらす強い快楽で不安を誤魔化さずに人生を生きていくことってできるのか⁉️⁉️⁉️⁉️⁉️できないだろ‼️‼️‼️‼️‼️傷付いてもそれでも他者と生きていくってエヴァンゲリオンみたいな(新劇と漫画版しかエヴァンゲリオン知らんが)結論に達するには私はSNSで最悪の人間に触れすぎたんだよ‼️‼️‼️‼️ああ嘘しか信じられない、マジで嘘の浅倉威さん助けてください、浅倉威さん助けてください…

 

でも浅倉威さんって死んだのでもう全部ダメらしいです。

この「フィクションのキャラクターがどんなに輝かしい過程を生きたとしても、その最終到達地点として死がある時点で何もかも終わり」とする思想のことを、私は「オタクのディアボロと呼んでいます。結果だけ見るな。

 

なんか1周年記念&30回記念なのになんかえらい暗いことになってないか?って感じだけど、この感覚は私の人生をずっと支配しているので今が特別暗い気持ちというわけでもなく、むしろ去年の1月よりは全然精神的に健康なので安心してほしい。たぶん今暇だから自分の【底】にあるものが出てきてしまっているだけなので、とりあえず今年の目標でも作っておくかな。

① 人から借りパクした漫画を読んで返す

② 過去ジャンルの全てをまんだらけで精算する

スマホのバッテリーを変えるか機種変をする

 

以上‼️借りパクっていうか人が別の人に貸す予定だったあんさんぶるスターズ(未履修)の同人誌とかも預かってるんだけどこれも読んだ方がいいかな?

意味もなくまた下痢してるけど寝ます。

おやすみなさい。